小さい生き方 32

 2018-07-20
「ポゴレリチ」というピアニストのCDを買った。いつも
の私の癖で、突発的に興奮して、購入行動に移ってしまっ
た。今回の興奮の理由は、彼の有名なエピソードだ。その
エピソードとは、彼は第10回ショパンピアノ国際コンクー
ルの本選に落選したのであるが、その審査員の中に、現
在、世界で最も高い評価を受けているピアニストのひと
り、マルタ・アルゲリッチがいた。アルゲリッチはその審
査で、ポゴレリチの落選審査を不服として「彼こそ天才
よ」と言い放ち、審査員を辞退したのである。しかし、こ
れが「ポゴレリチ事件」として話題を呼び、彼は一躍スタ
ーダムに駆け上がったのだ。彼は少年時代から変わった奏
法をしていて、前述のショパンコンクールでも通常とは異
なる奇抜な演奏だったようだ。しかし、考えてみると、私
は音楽はど素人だが、世界最高峰のショパンコンクールに
出場して、ふつう、奇抜なことなどするであろうか。もし
かしたら「目立とう」という狙いもあったのかもしれない
が、そうだとしても、相当な度胸がいるだろう。誰もが考
えるのは、審査員全員の意図を予想したうえで、模範的に
高得点を狙いながら、自分の個性をアピールしていくとい
う方法だと思うのだが。
自分らしい生き方というのは「ポゴレリチ」のような生き
方だろうか。彼には、批判的な声も多かっただろうし、ご
く一部の人達にしか支持されていなかったのかもしれな
い。だが、個人にとっての成功は、必ずしも世間から多く
の支持を得ることではないと思う。かと言って、ひとりよ
がりで好きなことをして、勝手気ままに生きるのも成功と
は思えない。もし、それが、自分らしい生き方だと考える
のなら、それは、人間としての成長が、少し不足している
のではないか。「自分探し」という言葉があるが、これ
は、ただ「やりたいこと」を探すのではなくて、誰かのた
めに役立ったうえで、自分が情熱を込めてやれることを探
すことだと思う。
男性は、持って生まれた明確な役割というものが、神から
与えられていないとも言える。それは自分で考えろという
ことだろう。ポゴレリチは、どのような意志をもって奇抜
な奏法をしているのかは分からない。本人は奇抜だとは考
えていないのかもしれない。ただ、彼は少年時代からのや
り方をやり続けている。アルゲリッチの一件がなかった
ら、奏法を変えていたかもしれない。いや、おそらく変え
ていないだろうと思えてきた。なぜなら、アルゲリッチに
聴いてもらえるというステージまで辿り着いたという事実
は、彼の奏法が世の中に受け入れられているということに
ほかならないからだ。彼に対する最近の評価をググってみ
ると、ステージマナーの悪さや演奏の特異さが、つねに取
り上げられている。しかし、それでも多くのファンを魅了
していることは間違いない。 マナーの悪さを見習おうとは
思わないが、自分が生きて行く分野(仕事)で、常識破り
なことをしようとするポゴレリチの生き方は好きだ。
まあ、理屈はともかく、CDを聴いてみよう。ああ、何で
も理屈から入ろうとするこの癖をなんとかしたい・・・

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小さい生き方 31

 2018-07-13
私の「一緒に食事したい女性ランキング」ベストスリー
は、NHK短歌に出演しているタレントの「カン・ハンナ」
さん、NHK俳句の司会を務める女優の「戸田菜穂」さん、
それから、みじかな人で「Aさん」だ。実現することはあ
り得ないが、カンさんと戸田さんを選んだのは、番組をい
つも観ていて、感性がとても魅力的だからだ。Aさんは、
とても「感がいい」人だ。直感力というか想像力というか
適応力というべきか、心を察知する能力が優れている。ま
るで霊感とも思える能力が、普通の人よりも強いのではな
いかと思うのだ。そんなAさんと、一度ゆっくり、食事し
ながら話したい。そして、その素晴らしい能力を存分に感
じると同時に、なぜ、そのような能力が備わっているのか
学び取りたいと思っている。
ちなみに男性と女性では、食事に対しての取り組み方や本
能的なものが、ずいぶん違うのではないか。極端なことを
言えば、男性は肉体的なのに対して、女性は精神的だ。だ
から、女性は食事の雰囲気の快、不快に対して、デリケー
トな反応になる。対して男性は、お腹と舌の満足以外のこ
とはあまり気にしない。これについて男性の視点で考えて
みると、男性同士で食事をする場合は、雰囲気はあまり気
にしなくていい。だが、女性との食事となると、そうはい
かない。もちろん、そんなことは誰でも分かっていて、お
店を選んだり、服装に気を使ったりしている。しかし、そ
れら以上に雰囲気を左右するのが、行動と会話だ。お店で
の行動は、マナーや店員さんに対する態度、オーダー、会
計のすべてが雰囲気の良し悪しに影響する。だから、男性
は女性を楽しませる雰囲気を演出しようと思うのであれ
ば、普段から、いつも同じ店に行くのではなくて、なるべ
く色んなジャンル、様々なスタイルの店に行くようにし
て、慣れておけばいいと思う。そして、会話は、たくさん
喋ればいいということではない。個人差はあるだろうが、
なるべく女性に喋ってもらった方がいいと思う。そのため
には、女性がたくさん話してくれそうな話題に誘導するこ
とだ。それに、あまり上手に喋りすぎると、相手が喋りに
くくなるということもある。男性は少ない喋りの中に、深
みがあれば好ましい。深みとは、物知りだとか、知識があ
るということではなくて、生きる知恵や生き方のセンスの
ようなものだ。
それから、何よりも大事なのが、心構えだ。男性はたと
え、相手にご馳走するにしても感謝の気持ちを持った方が
いい。相手は大切な時間を、自分に与えてくれたのだか
ら。女性は外出するのに化粧など、手間も時間もコストも
かかる。一回の食事で犠牲になるものは、男性よりもかな
り多いはず。だから、男性はお礼の意味を込めて、高価な
物でなくていいから、ちょっとしたプレゼントを用意して
おけば、気持ちが伝わって雰囲気が良くなるだろう。
話は変わるが、現在、男性の生涯未婚率は、20%を超えて
いるという。5人に1人が一度も結婚しない、もしくは、
出来ないという時代だ。その原因として、男性が女性と関
わることが少なくなっているのだとしたら、人生がとて
も、もったいない気がする。男性は男性同士でいる方が、
楽かもしれない。女性と関わるのは気を使うし、さらに、
結婚となると社会的責任まで背負うことになる。だけど、
それに見合うだけの、大きな喜びと心の成長が期待できる
のではないだろうか。

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小さい生き方 30

 2018-07-06
お世話になっている社長さんのお誘いで、淡路島に日帰り
観光に行って来た。私のベストワンスポットは伊奘諾神宮
にある「夫婦大楠」だった。樹齢900年以上といわれる、
その大楠は、根元は1本だが、途中から幹が二本に分かれ
ている。不思議なことに、元々は二本だった木が、いつし
か繋がったのだという。まさに「夫婦」と呼ぶにふさわし
い。夫婦大楠の二本の幹を見比べてみると、片方が真っ直
ぐ悠々と大きく伸びているのに対して、片方は一方の邪魔
にならないように、折れ曲がって伸びている。その曲がっ
た方の幹は、相手を根元で支えながら、相手が大きく伸び
るのを助けているように映る。まるで夫婦のあり方のお手
本のようだ。だが、折れ曲がって伸びている幹の方は、夫
だろうか、それとも妻だろうか。私は、夫だと思う。そも
そも、人間というものは、女が主役で、男は脇役だと思う
のだ。そして、私の勝手な想像だが、女は、人生を楽しく
するために、男という生き物をつくったのではないか。そ
う考えれば、男は女を楽しませるために存在することにな
る。だから夫が、この原則(私流の)に従って自分の生き
方を考えて行動すれば、夫婦関係が充実したものになっ
て、夫自身も幸せになると思っている。しかし、言葉にす
るのは簡単だが行うのは容易ではない。なぜなら、男と女
の「楽しみ」は、一致しないことが多いからだ。だからと
いって、夫が自分の楽しみを全て犠牲にしたら長続きしな
いし、妻も心苦しくなる。夫は夫婦大楠の片方の幹のよう
に、折れ曲がりながらも上手に伸びて行くことは、できる
のだろうか。
恥ずかしい話だが、私、40歳ごろまでは、まず自分が満ち
足りた上で妻の満足を考えればいい、という考え方だっ
た。けれど、ある日、妻の何気なく言ったひと言が、考え
方を変えるきっかけになった。妻はその時「わたし、いま
幸せ」と言った。その言葉を聞いて何故か、頭をカナヅチ
で殴られたかのような衝撃を受けた、と同時に、鳥肌が立
つくらい心が気持ちよかった。その時に初めて気がつい
た。考え方が逆だったと。そうして、根本的な考え方が変
わってくると、日常の一つ一つのことに、気づきと課題が
生まれる。例えば、妻はなぜ、その日あったことを喋りた
いのだろう? という疑問を抱けば、そのことについて知識
を得ようとするし、どう対応すれば良いかを考えるように
なる。以前なら理解不能なまま、理由も考えず、ただ、イ
ライラしていた。そして、さらに進むと、それを自分も楽
しむべく、工夫するようになる。また、妻が喜ぶことを考
えるのは、自分には存在しない嗜好や価値観を研究するこ
とになって、面白いし、その知恵が外で役に立つこともあ
る。
ちなみに「夫婦大楠」を観に来ていたのは、熟年夫婦が多
かった。有名なパワースポットでもあるこの「大楠」は、
安産、子宝、夫婦円満の御利益があるらしい。熟年夫婦の
夫は「曲がった方の幹」を見て、自分に置き換えることが
出来たら、熟年離婚を回避するという御利益を得られるか
もしれない。
私の法則でいくと、妻を楽しませることが出来ない夫は、
人生の後半、お払い箱になる確率が高い。

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小さい生き方 29

 2018-07-05
今朝、テレビをつけていたら、可愛らしい外国人の女の子
の涙顔が目に飛び込んで来た。中学生くらいのその女の子
は、泣きながら、60代ぐらいの日本人女性に抱きついた。
その日本人女性は、その女の子の学費をずっと支援してい
たのだという。そして、二人は初めて対面したのだ。女の
子は感極まって大泣きしていたが、日本人女性は、ただ、
やさしく抱きしめるだけで、落ち着いている。さも「普通
のことだよ、当たり前でしょ」とでも言わんばかりだ。私
は「ああ、この人こそ真の高貴な人だ」と思った。その日
本人女性のルックスは、とても質素で、お金がかかってい
るようには見えない。けれど、話し方とか佇まいに、とて
も気品を感じる。一説にいう木鶏(もっけい)とは、こう
いう人のことだろう。
しかし、こんな素晴らしい場面を観たら、いいスーツを着
たい、とか、豪邸に住みたい、などと考えることが、とて
つもなく馬鹿らしく思えてくる。

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小さい生き方 28

 2018-06-29
手について考えてみた。美容室や歯科クリニックに行っ
た際に、とても気持ちのいい感触の手に出会うことがあ
る。それは、技術的なことではなくて、その人の指その
ものが、神から与えられた特別なもののような気がす
る。指から暖かい癒しのエネルギーが心の中まで伝わっ
て来る感じがするのだ。そして、面白いことに、その人
の見た目や会話を通じて、勝手に頭で思い描いていた人
物像と、指が触れた瞬間に心で感じた感覚とのギャップ
が大きいことがある。例えば、笑顔をあまり見せないク
ールな感じの人だと思っていたら、その指が触れた瞬
間、暖かい優しさを感じるということがある。その人の
心根を現しているのは、いったいどっちなんだろうかと
思う。しかし、本人は自分の指が特別なことを知ってい
るのだろうか。私だけが感じているのであれば知ってい
ても意味はないかもしれない。今度、機会があれば尋ね
てみることにしよう。
ピアノを弾いている手を観ながら聴くのと、観ずに聴く
のとでは、前者の方が感激が大きい。不思議だ。手から
心を伝えることができるのだろうか。
手に、心を込めることは出来る。優しい手の使い方をす
ることで、心も優しくなってくるのではないかと思って
いる。例えば、食事の時には手の所作を意識して、料理
の美しさが損なわないように、食器が傷付かないよう
に、相手に不快を与えないように気をつける。レジで釣
り銭を受け取る時に、両手で受ける。ドアの開け閉めな
ど、何かを動かす時には最小限の力で動かす。物を置く
時は静かに置く。椅子を引く時に音がしないようにす
る。傘を差す時たたむ時に周りに気を配る。運転してい
て道を譲ってもらった時の手振りに感謝を込める。まだ
まだ、たくさんありそうだ。日常のほとんどのことを手
を使ってしている。その一つ一つを意識して優しい使い
方を考えていれば、必然的に人や物や自然を愛おしむこ
とになる。
当たり前のことだが、手紙は、手で紙に書くから手紙と
いうのだろう。パソコンから打ち出したものは、手紙と
は呼べないことになるのかも知れない。気になったので
「手書きの手紙」をググってみた。たくさんヒットし
た。こういう言葉が存在するということは、手紙は手書
きとは限らないということだろうか。まあ、どうでもい
いことだが。ちなみに「パソコンで手紙」でもかなりヒ
ットした。
そう言えば、昔、ピンク電話と呼ばれるダイヤル式の公
衆電話があった。10代の頃、女の子の自宅に電話をかけ
るのに、ダイヤルを回して戻って来るまでの間、心臓を
ドキドキさせながら、最初に何を言おうか、やっぱり掛
けるのをやめようか、などと迷って、結局やめてしまう
こともしばしばあった。震える手でダイヤルするから、
番号を間違えることもしょっちゅうだった。
手は、震えたり、汗ばんだりして、心が現れる。そうで
あれば握手は心を見せ合う儀式のように思えて来る。私
は握手はあまり好きではない。特に初対面で握手を求め
られると、パフォーマンスとしか思えない。だけど、女
性の手が何かの拍子にアクシデントのごとく、触れるの
は大好きだ。

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小さい生き方 27

 2018-06-22
水に浮かぶ一輪挿しを買ってきた。ベランダのプランタ
ーに咲いている花を挿してグラスに浮かべた。食卓に置
くと、食事の雰囲気がちょっとだけ豪華になる。ちょっ
とだけ涼しく感じる。グラスに浮かんだ花を眺めている
と、風が吹いたら揺ら揺ら優雅に漂う。だけど、グラス
の中は狭くて窮屈そうだ。もっと、伸び伸び泳がせてあ
げたい。そう思ったらいてもたってもいられず、リサイ
クルショップに向かい、適当なガラスの器を買って来
た。これは、たぶん素麺を食べる器だ。早速、一輪挿し
を浮かべ息を吹きかけると、くるくる周りながら水面を
浮遊して、すごく可愛い。ただ、今度は広くなったぶ
ん、一つだけでは寂しい感じがする。もう一つ、一輪挿
しを浮かべたくなった。二つの花がくるくる泳ぐ愛らし
い光景を想像したら、もう我慢できない。だけど、この
一輪挿しは、海を渡った広島で買って来たものだから、
今すぐ買いに走る訳にはいかない。こういう時に便利な
のはネット通販。「あった!」迷わず購入、こういうの
を衝動買いというのだろうか。衝動買いを検索してみる
と「買う予定はないのに、商品を見ているうちに欲しく
なって買うこと」とあるから、少し違うのかもしれな
い。あえて言うと興奮買いだろう。
さて、こんな私を見て、家内はこう言った。「とうとう
花鳥風月に入ったね。」「どういうこと?」と尋ねる
と、家内いわく、最初は「花」を愛で、それから「鳥」
の声に喜ぶ。そして「風」の心地良さに幸せを感じ、最
後は「月」を眺めて感嘆することだという。ようするに
老人街道まっしぐらだということだ。なるほど。だけ
ど、私に言わせると、これは花の有効活用をしているつ
もりだ。せっかく綺麗に咲いた花が、ただ、枯れていく
のは可哀想ではないか。だから、枯れる前に活躍の場を
設けてあげているのだ。
話は変わるが、最近は人生百年時代といわれている。人
生の後半、自分の活躍する場も考えないといけない。枯
れない人生をつくっていかないといけない。そのために
今しなければいけないことは、ひたすら自分の魅力を高
めることだと思っている。具体的にどんなことで活躍す
るかは、後から考えればいい。金メダルやノーベル賞を
狙う訳ではないから、あせることはないと自分に言い聞
かせている。では、魅力とは何だろう。色んな要素があ
るし、人によって違いもあるだろう。ただ、ここで一つ
取り上げたいのは、自己アピールしない人だ。言い方を
変えれば「プレゼン」しなくても魅力的な人だ。ルック
スのことを言っているのではない。ルックスも魅力の一
つではあるが、初対面で名刺を出さなくても、自分のこ
とを話さなくても、内面の魅力が伝わって来るような人
のことだ。有名な話に「木鶏」というのがある。「もっ
けい」と読む。この話を一言でいうと、最高の状態は、
木で出来た鶏のように、静かに平然としているというこ
とだ。
ところで、最近「枯れ専女子」というのが増えているら
しい。50代以上の男性を好む30代以下の女子のこと
だ。枯れるのも悪くないかも知れない。

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小さい生き方 26

 2018-06-15
広島県立美術館に行って来た。併設されているイタリア
ンレストランがとても素晴らしかった。美術館の素敵な
中庭を眺めながら食事が出来る。ちょうど紫陽花が満開
で美しかった。さて、今回の目的は食事ではなく「パリ
ジェンヌ展」だ。その題目のとおり、パリジェンヌを描
いた絵画を中心に展示されている。パリジェンヌと言え
ば、思い描くイメージは、チューリップを逆さにしたよ
うなスカートを穿いた美しい貴婦人ではないだろうか。
作品もそういうものが多かったが、中に「アイロンをか
ける若い女性」という作品があった。この作品は、貴婦
人ではなく、エプロン姿で袖をめくり上げた召使いが、
アイロンをかけている様を描いている。ただ、彼女の目
線は非常に官能的だ。アイロンがけをしながら男性を誘
惑しているようにも想像できる。そして、よく見るとア
イロンをかけている布に、今にも火が燃え移りそうな光
景が、端の方に小さく描かれている。彼女はその魅力的
な眼差しで誘惑しておきながらも「私に手を出せば火事
になるわよ」と暗に言っているようだ。しかし、男性で
あれば、この絵を観れば間違いなく、御主人とメイドの
アバンチュールを妄想するだろう。そう思うのは私だけ
かも知れないが。
さて、私、美術館には、NHKのテレビ番組「日曜美術
館」で紹介された展覧会の中から、狙いを定めて出掛け
て行く。日曜美術館で少しだけ知識がインプットされて
いることが、当日の楽しさを倍増させる。美術館併設の
レストランで食事するのも楽しみの一つだ。それから、
時々ミュージアムショップでお土産を買う。渡した相手
が、美術館の包装紙に気付いてくれて、展覧会のことが
話題になるかもしれない。密かにそんな淡い期待も抱い
ている。ミュージアムショップでは、必ずポストカード
も1、2枚買っておく。たいがい展示作品のポストカー
ドがあるので、気に入った作品を選ぶ。何年か経って、
そのポストカードを誰かに送る時、展覧会のことを想い
出すことができる。送る相手のイメージや季節よってカ
ードを選ぶのも楽しい。
美術館に行くことで「美的センス」と「心」が磨かれる
のではないかと考えている。美的センスと言っても、デ
ザイナーのような高度なことではなくて、ただ単に、美
しい物、素敵な物を「見よう」「感じよう」とする意識
が高まることを期待している。例えば、食事に出掛けた
ときに、器や盛付けの美しさに気付いたり、店舗の外観
や内装の素晴らしさを感じるというようなことだ。そう
いう習慣がつくことで「美しい」と感じた心が自然に言
葉になる。そうして発した言葉は、お世辞ではなく、本
心から感じた言葉だから相手も本心から喜んでくれる。
「素敵ですね」「ありがとう」
そういう会話から明るい関係をつくって行きたい。
美しいものに対する感度が高まれば、人を喜ばせ、自分
も楽しみながら、自己の周りの小さな世界を明るくする
ことができるかも知れない。だから、その感度を高める
ために美術館に出掛けることは、最終的に「心」が磨か
れることになると思っている。

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